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本町(ほんまち)は、大阪府八尾市の町。郵便番号は581-0003、現在の住所表記では1丁目 - 7丁目まで存在する。 現住所表記に変更される前は大字八尾を中心に、大字西郷、大字木戸、大字東郷、大字大信寺など周囲の一部も含まれていた。 ==歴史== 令制国一覧 > 畿内 > 河内国 > 若江郡 > 寺内村ほか 河内国若江郡の南に位置し、寺内町(八尾、大信寺)のほかに「八尾八か村」と呼ばれた 西郷村、東郷村、木戸村、庄之内村、成法寺村、今井村、別宮村、八尾座村の各村があっ た地域が狭義の八尾とよばれる。 中世・平安時代以降は「八尾庄」と呼ばれた有力寺院の荘園地であった。慶長11年(1606年)に久宝寺村の森本行誓ら17人衆は、本願寺が東西に分かれて対立したこと発端とし、久宝寺寺内町を支配していた安井氏と対立したが敗訴し、また17人衆は東本願寺派に属したことから村を追放される形となった。この時、東本願寺派の教如は徳川家康より八尾庄の四町四方の地を与えられ、行誓らは東本願寺派に属した慈願寺と共にこの地に移住・荒れ地を開墾して八尾御坊大信寺を中心とした寺内町の基礎を築いた。以降、八尾の中心はのちに八尾八か村とよばれる集落から寺内町へと移り、在郷町として発展した。町内は周囲の農村部で木綿栽培が盛んだったこともあり木綿問屋や肥料屋が数多く存在した。 江戸時代初期までは八か村はひとつの村であったが寛永年間に分村している。現在の本町は寺内町の全域および周囲の一部を取込んだ地域である。江戸時代における支配者は最初は幕府直轄、享保15年以降は大坂城代土岐頼稔領、のち頼稔の上野沼田藩への入部により沼田藩領となり幕末へ至る。明治期の市町村制施行により八尾村の大字八尾の一部となる。 昭和35年に町名地番改正が実施され、旧寺内村とその周辺で整理、住居表示が実施され、本町1丁目 - 7丁目となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「本町 (八尾市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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